2022年4月20日(水)
今朝、新聞経済面にこんな見出しが!「モスクワ市長が「20万人失業危機」訴える!
これは
ウクライナ侵攻に伴い、EUおよび世界が、ロシアに与える経済制裁が活きてきたということなのか?
プーチン大統領とモスクワ市長が違う見解を見せている・・という記事である。
私はソビエト連邦が崩壊した1991年以降
2回ほど、ロシア連邦・モスクワ郊外を独り旅したことがある
1回目のロシア訪問は、1996年9月
目的地ウクライナのヤルタ(クリミア半島)へ向かうため市内のホテルに一泊をし飛行機を乗り継いだ
ロシアの玄関口、シェレメーチェヴォ国際空港は、電力不足なのであろうか
待合室が薄暗く少し不気味な雰囲気であった。
ウクライナまで飛行機が発着するターミナルは
広大な空港敷地内の片隅の小さな掘っ建て小屋のようなターミナルであり、
9月下旬だったが、みぞれ交じりの寒いターミナルだったことを鮮明に覚えている。
ソビエト連邦崩壊後、当時からロシアは、ウクライナという国を軽視しているのではないかと肌で感じた一面である。
2回目のモスクワ訪問は、
1997年の春 イスラエル経由で、旧ソビエト連邦アゼルバイジャンの首都バクーへ飛び
ヒッチハイクで、ジョージア(旧グルジア)のトビリシに入り
トビリシ国際空港からのフライトでモスクワ入りをした。
グルジア・トビリシ空港の税関にて、モスクワへの入国VISAを求められたが、
イスラエルから来た僕がモスクワのVISAを取得している訳はない(笑)
空港税関員は僕のパスポートを取り上げ、
パスポートのなかで、、イスラエル、から旧ソビエト・アゼルバイジャン、グルジアからの旅人と確認するとヴィザなしで、税関を通過できた。
以外にも当時、イスラエルとロシアは友好関係にあることに驚かされた。
当時は、アメリカ国籍やカナダ国籍のパスポートでは、旧ソビエト連邦の旅では国境を越えられかった時代。
日本のパスポートは世界でも信用のある手形という事は世界を巡って実感できた、
日本のパスポートは盗難されても高価で売買される意味もわからなくもない。
〇1997年4月 モスクワでの驚き
グルジアからモスクワへ到着した。モスクワでは2泊することにし、
空港近くのホテルからモスクワの中心クレムリンと赤の広場を訪れるため
地下鉄に乗った。モスクワの地下鉄は、第二次世界大戦時、
ドイツの爆撃の攻撃から身を守るシェルターとなっており、今もその姿が残っている
地上から深いところでは80mとことに地下鉄駅があり、
最新のエスカレータにのり通勤をするサラリーマンの姿はカルチャーショックを受ける。
※ちなみに世界一地上から深い地下鉄は ウクライナのキエフである。
赤の広場は、どうであろう、冷戦時代の暗いイメージを感じるかと思いきや、
頭には、当時流行したウォークマンのヘッドステレオ、
片手には、マクドナルドのハンバーグをもち、
ローラスケートで赤の広場を駆け抜ける若者が、見受けられ
当時の日本人が思うロシアとかけ離れたものであった。
しかし、クレムリンの赤の広場からほど近い、
KGB(ソ連国家保安委員会)のルビャンカ広場の裏路地には
ホームレスが多くみられ、
集合住宅が連なる街中のお店の商品棚には、肉や魚、お酒ほか
日常生活商品が不足し陳列されていない光景があった、
まさに行政の中心地、クレムリン広場の環境と一般市民が暮らす街中では水と油の違いである。
ちなみにモスクワ郊外の、とある部落で知り合ったロシアのおばさん(写真左)の家では、
ヤカンと鍋を組み合わせたような、自作の蒸留器を用いて、畑のジャガイモや穀物から、
サマゴンと呼ばれる、アルコール度数の高い、密造酒を製造していた。
もっと凄いのは、燃料などのメチルアルコールを蒸留したもの、
また石鹸や洗剤(第三アルコール)を原料としてサマゴンを製造し
当時は飲んで、死んでいく人が後を絶たない時代であった。
いま現在、ロシアではソビエト連邦崩壊時代の貧しさが 市民を襲っていくのではと推測している。
※身近な価値観の違い:
日本で1000円前後で、販売されているロシア産ウォッカストリチナヤ(写真右)は、
ロシアでは一般市民が購入できない高級ウォッカである。
これだけSNSが普及した世の中でも
現地に行かなけわからないことがよくある。