2025年11月27日(土)
戦国時代の武田信玄が、
1573年、野田城(愛知県新城市)の戦い後の会の帰宅路で病に倒れず
もし天下統一をはたした際は、本拠地を神奈川県・座間市に移して幕府を
開こうとしていた、という話があるのを皆さんはご存じであろうか?
武田信玄公の言動や軍記を今に伝える江戸時代の軍学書「甲陽軍鑑」には、
「本境地を甲州から相州(神奈川)へ移し「ほしのや」座間市に
新鎌倉幕府を築こうとしていた」という話が記されています。
本日は、駒沢大学名誉教授で、日本の歴史学者、久保田昌希氏をお招きし
「再び、武田信玄『ほしのや新鎌倉』構想を考える~江戸時代に描かれた
座間星谷の絵図を読む』と題して
ほしのや(座間)の『新鎌倉』構想についての発表と
座間市の歴史研究家とのパネルディスカッションが行われ
座間の歴史の偉大なルーツについて素晴らしい講義が開催されました。
- 武田信玄の新鎌倉構想について学ぶ(サニープレイス座間)

