2025年2月5日(水)
1945年8月14日、第二次世界大戦時、日本がポツダム宣言を受諾し降伏をした
約2週間後、連合軍総司令官 ダグラス・マッカーサーが、
当時の帝国海軍厚木基地に舞い降りた歴史的な背景をもつ「厚木海軍飛行場」を訪れた。
地元の人々からは「厚木基地」と呼ばれるこの施設の歴史は、
1941年、旧帝国海軍が運用開始をはじめ、
1945年、終戦を迎えアメリカ軍が航空基地施設として駐留された歴史をもちます。
その後1950年には、アメリカ海軍として転換され、
1971年になると、日本の海上自衛隊と共同運用が行われ、
こんにちに至っています。
※この同年、日本のキャンプ座間も陸上自衛隊と共同運用を開始しています。
厚木基地飛行場の面積は、507万㎡(ディズニーランド10個分)で
神奈川県綾瀬市内(78%)、大和市(22%)の敷地内にて
主に「海上自衛隊・第4航空群」と「米海・第5空母航空団」が区分けされ
利用がなされていました。
本日は、在日米海軍厚木航空施設・ニコラス・ルクレア司令官の出席のもと
広報部の皆さまから、厚木基地の概要・歴史・各部隊の組織、
さらには、基地周辺の皆さまとの地域交流やボランティア活動のレクチャーがあり
軍都とした歴史をもつ高座郡(相模国)の歴史と現状等 に触れる貴重な研修となりました。
基地(防衛施設)で働く人々や居住をする人たちを知り、触れ合うなかで
「真の平和」が維持されるものではないかと考えます。
本日は、在日米海軍厚木航空基地の広報部の皆さま ありがとうございました。
- マッカーサー像(厚木海軍飛行場)
※撮影は、基地側からの許可と承諾を頂き、撮影をしています。